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私が秋田に来たのは今から11年前。もともと海外を旅するのが大好きで、お金を貯めては学生時代から、アメリカまたはアジアを旅するなどバックパッカーをしていました。のちに(日本テレビの猿岩石やドロンズで)旅ブームになり、国内の若者たちが海外に目を向けていきました。その最中、新聞で国際都市秋田県雄和の記事。今では全国的に国際村が多く点在していますが、当時は珍しく、またミネソタ州立大学機構秋田校があり、何かの役に立てればと思い、旅する感覚で秋田に来ました。 しかし実際生活をしてそのギャップに目を疑ったのは私だけではないと思います。 全国各地を回る英会話の先生や県外出身者などからも口々に聞いております。国際社会を目指そうと頑張っている人もいますが、県全体が保守的で今なお外国人どころか県外者も拒む土地柄です。実際のデータを見ますと、県が負担するにも関わらず、パスポートの取得率が全国ワースト1位。今入りたくても入れないインターナショナルスクールの定員割れ、特に海外への新婚旅行は圧倒的に低く、その大半が男性人の腰の重さといわれています。 秋田県人 戦後食糧難や就職難によりどん底に落ち飢餓した日本。私の祖父の兄弟をはじめ多くの日本人たちが遠くブラジル、ハワイなどへ移民していきました。その中秋田県は「林業」「農業」「鉱山」「油田」「地下水」と生活に必要なすべてが自然にとれ、また日本海を使い輸出国として地方へと貿易をこなしていきました。かなりのバブルな国家だったのでしょう。それを象徴するのが地方で珍しい日本銀行秋田支店です。ここで暮らし人たちは気がつかないはずです。 その頃戦争で敗れた日本は今のモンゴル人力士のようなハングリー精神とすさまじい行動力で、高度経済成長へと発展してゆきました。それに便乗し、秋田の経済はさらに加速度を増し、過程を知らないままバブル社会へ達しました。また1992年バブルの崩壊、関東を中心に地価の下落、タイミングが悪いのか世の中の流れに気がつかなかったのか、秋田自動車道と秋田新幹線の相次ぐ開通、逆に逃げ場を探していた関東や宮城の企業にとってはこれがチャンスとなり秋田進出のきっかけになってしまいました。価格競争や生産競争になれていない地元企業にとって初めての味わい、戦後高度経済成長企業の前に成すすべなく相次ぐ倒産。そして12年連続自殺率ワースト1位になったのもその影響の一つではないでしょうか。 逆にそれをうまく利用したのは女性でした。東京の文化をうまく取り入れ、持ち前の強いハートでブティック業界を中心に、美容やナイトクラブなどそのほとんどのオーナーが地元の女性と言われています。実際美容院の数も人口比で日本トップで、国内有数の美的センスの件といっていいでしょう。 最後に一言。 こんな話でよければいつでも当社に遊びにいらしてください。 秋田県秋田市八橋三和町19-36 (Mapfanの地図はこちら) |